【資料紹介】『五ヶ山塩硝出来之次第書上申帳』

富山大学附属図書館では、現富山県南砺市の菊池家に伝来した重要史料である『菊池文書』を所蔵しており、その一部をデジタル化公開しています。
今回はその中から、五箇山における塩硝生産の総てを記録した重要な史料である『五ヶ山塩硝出来之次第書上申帳』を紹介します。

合掌造り集落として世界遺産に指定されている富山県の五箇山は、鉄砲火薬の原料である塩硝の一大産地であったことでも知られています。
五箇山での塩硝生産がいつから始まったかは明らかではありませんが、浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)と織田信長との戦い(石山合戦)において五箇山の塩硝が使われた記録が残っています。その後、前田家が五箇山を支配し、一向一揆が沈静化すると、塩硝は加賀藩に買いつけられるようになりました。山深い五箇山では、幕末に至るまで秘密裡に塩硝の生産が行われ、加賀藩の軍事力を支える「秘密工場」として機能しました。

塩硝の製造方法はいくつかあるようですが、五箇山ではわが国独特の「培養法」による製造が行われました。
培養法は、自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻など)と、蚕の糞などを利用して製造する方法です。五箇山の民家では蚕を育て、糸を生産していたことから、その糞が大量に貯められており、これが偶然に塩硝の培養と結びついて生産法の改良が加えられたと見られます。これは、現在のような微生物学や化学の知識も情報もない時代に編み出されたバイオテクノロジーとでもいうべき画期的な方法でした。

加賀藩前田土佐守の命により、五十嵐孫作が文化八年 (1811)に書いた五箇山での塩硝生産調査の報告である『五ヶ山塩硝出来之次第書上申帳』に、この製造方法が詳細かつ正確に記載されています。
富山大学附属図書館所蔵の『菊池文書』中にその写しが存在しており、富山大学学術情報リポジトリToRepoからデジタル化公開しておりますので、ぜひ一度ご覧ください。


参考文献